自分を苦しめる自己否定。
「だめかも」
「どうせ自分は」
「評価を下げたなあ」
こういった「判断」に苦しんできた人はたくさんいるでしょう。僕もそうです。
しかし,これらは「判断」であり,そこにこだわると「執着」へとつながる妄想にすぎない,ということをこの本から学びました。
・・とするならば,このような自己否定を促すような判断からは抜け出し,打ち勝つ必要があるということです。
そして仏陀はそれができるといい,方法を教えてくれます。
自分を否定するとこんなことに
自己否定が生み出すものとして,龍瞬しは次のようなことを上げています。
自己否定
↓
承認欲が満たされないことからの怒り
↓
その不快解消のための「攻撃」もしくは「逃避」
・
こうしたことにとどまりません。
私がはっとしたのは,次の言葉です。
こうした反応がでてきたとき,自分も周りも,「なんとかしないと」と考えます。ただ,注意しなければならないのは,その「なんとか(矯正)しないと」という判断もまた,本人を否定する判断だということです
まさに自己否定のスパイラルに入るわけです。
「これじゃだめだなあ。」で終わってちゃいけないから,「よーし!何とかしないと!」と抜け出そうとしているつもりが,実は新たな自己否定を生んでいるとは。
結局必要になるのは,判断しない。否定しない,ということなんですね。
どんなときでも,自分を否定するという判断をしてはいけないということです。
自分を否定しないためには?
判断しない,否定しない,といっても自然にそうなってしまうのが人間の脳です。
僕もぼやっとしていたらすぐに判断してしまうし,だめだめ!と否定してしまいます。
だから,「しない」のではなく「あ,判断してる。」と気づいてやめる練習に取り組むことが大事。
それならできそうですね。
こちらでやった判断をしない練習が使えます。
さらに,自分を否定しがちな人のために龍瞬氏は次の3つのエクササイズを示しています。
- 一歩,一歩と外を歩く
- 広い世界を見渡す
- 「わたしはわたしを肯定する」と自分に語りかける
本人自身が一番つらいときに実践していた方法だそうです。
一歩,一歩と外を歩く
すぐに散歩する。歩けるところまで歩きながら,感覚に意識を向けるようにする歩き方です。
あれこれ歩きながら考えていてはすぐにまた自分否定の判断を始めてしまいますから,カラダの外にある感覚に意識を向けて,自己否定を受け流すんですね。
目,鼻,口,耳,肌からの感覚を研ぎ澄ませて。
これは,頭の中にしかない妄想から,確かにある感覚という現実にスイッチするための方法です。
いさぎよくやるのがコツだそうです。
自己を否定する判断が消えるまで何年でも歩きなさいと龍瞬氏は言っています。
ダイエットにもなるし,いいですね。
広い世界を見渡す
見渡して人を見る。いろんな生活をしている。
見上げて空を見る。長い時間と広い空間がある。
一点への執着から,広い世界に意識を映した途端,自己否定の判断は,存在しない「妄想」に変化。
現実にある自分へのスイッチです。
「わたしはわたしを肯定する」と自分に語りかける
これはポジティブシンキングというものとはちがい,自分を否定している判断を,今どう止めるか,というために行うのです。
このシンプルな肯定なら,自己否定の判断そのものを一旦停止させられます。
僕も口に出していっていました。
たしかに判断が止まる,ということを感じました。
よい言葉です。

合理性のない自己否定の判断は必要ないという,仏陀の合理性
自己否定は,合理的ではないと仏陀は考えます。
まず,その判断は苦しみをうむ。苦しみを生むものは必要ありません。
つぎにその判断は頭の中にしかない,つまり妄想です。妄想は執着を生み,悩み苦しみを生むのだから必要ない。
けっきょく,自己否定の判断は不要なのです。
ところで,この「自分はダメだ!なんとかしなきゃ」
という判断がよくないことはわかりますが,「事故を鞭打つ」とか「自分を鼓舞する」ということとはかかわりはないのかなと思っていました。
そこからのV字回復で大成した人の話もよく聞くではありませんか。
そのことにも答えがありました。
「方向性を見定める」
「今に集中する」
「妄想するのではなく行動する」
このような励ましかたがちゃんとある。だからわざわざ事故を否定することによる怒りのエネルギーを作り出さなくてもいいんだ,ということ。
自己否定によって怒りを生み出すんじゃなくて,「今できることをやろう」ということですね。
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反応しない練習
