反応しない練習

「ムダに判断」していませんか

龍瞬氏のこの問いかけにびっくりしました。

生活している以上,様々な場面で判断することは大事なことだと,これまで考えてきたからです。

しかし,その判断がすぎると,悩みにつながるというのです。

この場合の判断とは,「よし,売りだ!買いだ!」とか「決定だ!中止だ!」のようなことだけでなく,「決めつけ」のこと。

「決めつけ」とか「思い込み」

自虐

不安

尻込み

人物評

 

そのようなことまで含めて「判断」とされています。

なるほど。たしかにこういったのは,不満とか心配など,様々な悩みを作り出しますね。

だから,このような判断を「ムダな判断」として,それをしないようにしよう,というわけです。

 

判断は「執着」の一種だといいます。

もともと頭の中に存在しないはずの判断は,「こうすべき」とか「こうあるべき」などの社会や文化の中で学習してきたもの。

必要な判断も当然あるけど,「そうあるべき」と執着してしまうと,そこに苦しみがうまれる。

本来ないものなのに,執着するとあたかもそれが実際にあるかのようになってしまいます。

本来存在しないもののために苦しめられるならば,それは妄想。

頭の中にしか存在しないからです。

どうしたらムダな判断をやめられる?

「自分は正しい」と思うのをやめようよ

自分は正しいという判断は,判断してしまった時点で間違っているというおもしろいことを仏陀はいっているそうです。

 

「象とはどんなものか」という問いに,

鼻を触った人は長いものだというし,

足を触った人は,柱のようなものだという。

 

この例をとり,人は一部分しかみえてないのだから,「自分は正しい」と判断するとそれは間違いなんですね。

だから,まず,「自分は正しい」と思うのをやめようというわけです。

これで,ずいぶん判断が軽くなり,執着することが減るでしょう。

「あ,判断した」と言おうよ

人間であるから,つい判断をしてしまうことはしかたないですよね。

気が付いたら,「あ~ついてない」「これだからあの人は・・」なんて思ってしまいます。

「ムダな判断をしない」と決めた人は,ここで「あ,判断しちゃった」と気づいて言葉にだす。

そうやって言葉に出すというのは,それだけで自分自身に呼びかけ,その姿勢を促すことができるんだと思います。

いろいろと判断しても「判断した」と気づいて言葉に出すことで,それ以前とそのあととの心の持ちようは当然違いますよね。

だから,「明日のことが心配」なんてお思ったら,「あ,判断した」と言いましょう。

これ,すごく気持ちいいことだと思います。

「自分は自分と考えようよ」

これは,判断から足を洗う自分の決心ですね。

人はいろいろと判断するかもしれないけど,僕は悩むのは嫌だから,判断しないようにするよ。

というひとつの宣言です。

私はこうする,と線を引く。人は人,自分は自分。

これもずいぶん自分を軽くしてくれるでしょう。

「いっそのことすなおになりましょうよ」

これはどういうことでしょう。

自分が正しい,と思っていると,それが崩されるような言葉やできごとに出会ったとき,自分を否定してしまうようなことになりかねません。

そこから不満,争いなどの悩みがうまれるわけです。

だから,「そうです。そうです。これが自分です」と素直になって,「いや,こうあるべきだ!それがただしい」という思いから抜け出ちゃう。

そうすると楽ですよね。

ここにあげられたことは,「確かに!」と思うことばかりです。

でも,実際やれと言われたらむずかしいものもあります。

「人は人」「素直になる」というのはなかなか難しいです。

学級や会社などでの同調圧力がつよい社会の中では,なかなか勇気がいります。

それでも,最初のふたつあたりを続けているうちに,いつのまにかこれらのこともできるマインドに変わっていくのかもなと思いました。

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