反応しない練習

自信を持ちたい

もっと、自信を持て

よくそのようなことを思うんですが、ブッダによれば単純明快で、自信なんてものは妄想だ、で済まされてしまいます。

だって、これを成功させる自信があるなんていっても、本当に成功するかどうかわからないのだから、それは妄想。

ブッダは、そんなことにクヨクヨするよりも、今やることが他にあるだろ、と言います。

今、一生懸命にやった結果が、将来の成功を導いてくれるのですから、やらねばならないことは今に注力、ということなんですね。

それを妄想でクヨクヨして、本来やらねばならないこと「かき消してしまっておいて、自信がないなんていうのが私たちです。

いや、私です。

でも、不思議に思います。

自信は妄想だ、と確かにそうなんですが、でも私たちには明確に自信があるではありませんか。

「私にはこれをこうする自信がある」という時、それはあながち根拠のない妄想ではなく、経験から見たほぼ確実な自信。

そういうのってあるでしょ?

そりゃ未来のことはわからないで片付けてしまうことはできますが、現実なこととして、このことをする自信があり、そして何回もその通り成功する。より自信が積み重なる、ということはあるわけです。

だから、私たちは怖がらずに自転車に乗れるんでしょ?

「私が転倒せずに自転車をこげると思う自信は妄想に過ぎない。今度はかけるかもしれない。だから、今、サドルにまたがることに全力を集中しよう」なんて思いません。

こけずに自転車をこぐ自信は確かにあるんです。

それをブッダはどういっているのでしょうか。

大丈夫。

ブッダはちゃゆといってます。

「それは「見通し」が持てているのだ」と。

「こう動けば、こんな成果が出る」という見通しです。

体をこう動かせば倒れずに自転車をこぐことができる、という見通しなんですね。

そんなの、どちらでもいいじゃないか。自信でも、見通しでも。

そう思う私もいますが、大きな違いがあります。

それは見通しは、「一生懸命にこれをやったらできた」という経験が積み重なっているということなんですね。

今やれることに集中してやってみて、できたということが積み重なった挙句に見通しができるようになるのです。

そこで初めて、自信といってもいいのだということなのかもしれません。

つまりこうです。

今に注力して行動し、成功した経験を積み重ねて初めて自信とも呼べる「見通し」ができる。

そうでない自信は根拠のないただの妄想である。

自信がないというのは、見通しがないだけであるから、とにかくやればいいのである、と。

本当は、今この瞬間になんの判断も必要ないのです。ただ「やってみる」だけ。そうやって「体験を積む」ことだけでいいのです。」

自信がなくてクヨクヨするのは妄想。積み重ねがないから見通しが持てないだけ。

今、この瞬間に何も判断せずにやってみる。

うまくいかなかったらやり方を変えるだけ。

うまくいったらそれは体験の蓄積となる。

その蓄積の先に「見通し」ができる。

そうしたらそれを自信といってもいい(かもしれない)

ということで、自信をつけるただ一つの方法は「今、何も判断せずにやってみるだけ」ということでした。

考えてみれば当たり前のこと。

しかし、私たちには妄想のカーテンが目の前に垂れ下がっているのでなかなかそれが見えないですね。

カーテンを取り外したら、なんと当たり前の世の中が見えることでしょうか。


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